「共依存」という言葉を聞いた事はあるでしょうか。
今回は認知症介護における共依存について解説していきます。
実際共依存の家族を何件も見てきましたが、私からするとどの家族も上手くいっているとは思えないです。でも当人達は幸せそうに生きています。
「幸せそうなら良いじゃない」と思われる方もいると思いますが、その幸せとは少し「歪んだ幸せ」に感じます。
今回の記事ではそんな認知症介護における「共依存」について分かりやすく解説していきます。
①共依存とは?
共依存とは簡潔に説明すると、「互いに過剰に依存しあっている状態」の事を指します。
「それって別に悪い事じゃないじゃん。」って思う方もいると思います。問題なのは前述したように健全的な依存ではないという事です。
恋愛だとパートナーが暴力を振ってくるのに別れられないとか、傍から見れば「そんな奴とはわかれちゃいなさいよ‼」と思うのですが、当人たちはそれが出来ない。なぜなら健康的な思考ではないからです。
認知症介護における「共依存」は、当事者が依存するのは当たり前なのです。なぜなら一人では生活出来ませんから。問題は介護者の方にあると私は考えています。
認知症介護における「共依存」は、大体介護者が限界な状態なのに手放すことが出来ない危険な状態です。私としては「施設を考えてみたらどうですか。」や「薬を服薬or増量してみたら如何ですか」とアドバイスをしたりしますが、聞く耳を持ちません。
「本人が可哀そう」だとか「どうせ変わらないし」と仰る事が多いです。
「苦労している私って凄い」って思っているのではないかと時々思う事もあります。
次は実際にどんな方々がいたのかを説明していきます。
②共依存は実際どんな感じなの?
認知症介護における共依存は「介護者側の一方的な愛」のように感じます。
前述したように当事者は理解出来ていない可能性が高いですし、何より誰かに依存しないと生活していく事が出来ません。
段々色々な事が出来なくなっていき、最終的には何も出来なくなってしまいます。その状態での介護は大きい赤ちゃんの世話をしている様なものです。
その状態での介護は苦ではなく、むしろ楽しい様です。今まで苦労してきた分、かわいく見えてしまうという事でしょうか。
他にも明らかにBPSDの対応が出来ないご家族に、ケアマネジャーが「あなた達は共依存でお互い良い影響を与えないから、少し離れる必要がある。」という内容の言葉を他の言い方をして伝えたそうです。
その時に「共依存で何が悪い‼」と言われたそうです。明らかに自身の限界が来ていて酒に逃げてうつ病っぽくなっているアンタがそれを言うか⁈と話を聞いた時は思ったものです。
当人達は依存しあっていると思っていないし、仮に認識していたとしても「共依存」が健全的ではない思考だという事が認識できていません。
そんな彼らを現実に戻すのはいつだって辛い現実の時です。病院や施設に入所していれば健康的に生活出来ていたのに、在宅での生活を選ぶものだから無理をして病気になったり骨折したりして強制的に離されます。
その後は老衰となり永遠の別れが訪れるのです。私が見てきたケースではそういうパターンに限って割と早く訪れます。
むしろ健康な時に入院や施設に入所した方が結果的に長く同じ時間を過ごせていると感じます。
でも「離れて暮らす事に何の意味があるの?」と声が聞こえてきそうな気がします。
③まとめ
「共依存」とは簡潔に説明すると、「互いに過剰に依存しあっている状態」の事を指します。
認知症介護における「共依存」は、「介護者の一方的な愛」に感じます。
「今まで苦労を掛けたから今度は私が面倒を見る番」と責任を感じたり、「介護をする事が生きがいになった。」という人が共依存になりやすいと思います。
本人達が幸せなら何も言う事はありません。でも会った時に愚痴をこぼしたり、適切な介護が出来ていないせいで健康状態に被害が出ていたりBPSDが出ていたりするのは間違っていると思います。
介護者が心身共に健康で無いと、良い介護は出来ないと思っています。
自分の力だけではどうにもならない事があります。
介護サービスを使うことは「悪」ではありません。
必要な介護サービスを使って、介護者が心身共に健康でいる。そして認知症の介護をする。この上手くバランスを取れた時に生活は安定します。
ではまた‼
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